姫野は泳ぐ
- himenoya2020
- 2021年3月27日
- 読了時間: 3分

息子、煌太郎(おうたろう)と市民プールに行き、泳いできました。
煌太郎は、水深が浅いコースで自由に泳ぎ、姫野は、フリーのコースで、泳いだり歩いたりしていました。
姫野は眼鏡を外すと、あまり見えません。
時計も煌太郎が泳いでいる姿も、周りの物も見えません。
人は動いているシルエットは見えますが、表情は全然わかりません。
そこでの気づきは、「やはり慣れるまでは、目が見えないことは不安」ということです。
泳いでいて、前の人との距離が掴めず、必要以上に距離を取り、人影が見えたらすぐに足を付き、泳ぐのを止め立ってしまいます。
また、煌太郎に目をやると、毎回溺れているように見えてしまいます。
そして、監視員の人が、ずっと姫野を見ている気がするのです。そして、「変な泳ぎ」とか「変な体形」とか「息継ぎの時の顔キモ」とか、後から考えるとどうでもいいマイナス思考なことが、頭の中に浮かんできてしまうのです。
そのせいか、何度も監視員を見てしまうのですが、あちらからすると、姫野が目が見えてないのを知らないので、「ずっと自分を見てくる怪しいやつに映っているだろうなぁ」とも思いました。
姫野は数年前行った、Dialog in the Dark(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)に言った体験を、思い出しました。
Dialog in the Dark(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)とは?
照度ゼロの暗闇空間で、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って日常生活のさまざまなシーンを体験するエンターテイメント。参加者は数人のグループとなり、事前に白杖を渡され、完全に光を遮断した照度ゼロの暗闇空間を探検。視覚以外の感覚を研ぎ澄まし様々なシーンを体験する。暗闇内では「アテンド」と呼ばれる視覚障害者のスタッフが参加者を案内する。(ウィキペディアより)
また、同じ日にDialogue in Silence(ダイアログ・イン・サイレンス)にも行きました。
Dialogue in Silence(ダイアログ・イン・サイレンス)とは?
音のない世界で言葉の壁を超えた対話を楽しむエンターテイメント。参加者はチームとなり、音を遮断するヘッドセットを装着し、ボディーランゲージなど音や声を出さず、静寂の世界で互いにコミュニケーションをとる方法を発見する。静寂の空間では「アテンド」とよばれる聴覚障害者が体験をリードする。1998年にドイツで開催されて以降、フランス、イスラエル、メキシコ、トルコ、中国でも開催。これまで世界で100万人以上が体験した。
(ウィキペディアより)
姫野は、視覚がないととても不安です。また、感覚は敏感になり思考はネガティブになってしまうようです。
しかし、聴覚がないことは、楽で心地よくも感じました。
(聴覚障がい者に対しうらやましいとか、楽をしているとか、批判や憧れがあるわけではありません。誤解がないよう書きたいです。)
今生きている感覚が疲れるほど、聴覚や触覚の敏感さがある中で生活しているからだと思います。
確かに、1人で静かな場所や、テリトリーが確保された場所だと、本を読むスピードも、文章を書くスピードも全然違います。
人は1人ひとり感覚が違います。
確かに不必要な感覚を環境やアイテムにより閉ざせば、楽です。
しかし、せっかくの自分にしかない感覚ですので、もったいないです。
なので、姫野はこの自分だけの敏感な感覚と鈍感な感覚を全開にして、楽しく生きていきます。
疲れたら自然の中に逃げます。(笑)
Commentaires